「ま、食べてみて」。尹がよく口にする言葉である。
その言葉を聞く度に、彼の性格からくる多少の照れと料理に対する謙虚な気持ちと秘めた自信を感じてしまう。
おいしいものをお客さまに出して、喜ぶ顔がみたい、という思いが人一倍強い尹ではあるが、「すべての人を満足させる味はない」と謙虚に考える尹にとって、食べてもらったお客さまの感想こそがすべてなのだろう。そこに料理の面白さと奥深さがあるのだろうと思う。
日本に四川料理を持ち込んだのは、陳建民さんであることは有名だが、尹は16才のときに、建民さんの東京・四川飯店の門をたたいた。16才の少年にとって、建民さんは雲の上の人であったそうだ。何しろそれまで四川料理は日本になかったので、「豆板醤」をつくるために畑を作って、そら豆を栽培していたそうだ。なんともおおらかな話しだが、調味料から自分で作ってしまうという尹の料理スタイルはそういった経験が活かされているのかもしれない。
建民さんの凄いところはどこなんですか?と尋ねると、「自分のもっているすべてを惜しみなく弟子に教えたことじゃないかな」と尹はいう。その為、四川料理はまたたく間に広がり、日本では一番歴史が浅いにもかかわらず、中華の鉄人に四川の陳建一さんが選ばれる結果になったのだろう。
建民さんの愛弟子は、日本に何十人かいると言われている。もちろん尹東福もその一
人で建一さんの兄弟子にあたるそうだが、今は孫弟子・曾孫弟子まで愛弟子と名乗っ
ていたりして現在、陳建民氏の弟子を名乗るコックは数え切れない。なかには自称の
孫弟子、曾孫弟子なんていう人まで存在すると言われているほどである。
意外と多いなと思ったのだが、亡くなられた方もおられたり、全国各地に弟子たちは
ちらばっているので、日頃出会うチャンスは意外と少ないのだそうだ。香港・台湾・
そして日本、それぞれに四川料理をもたらした放浪の料理人、建民さんに弟子たちも
またならっているかのようだ。
そういったことと、師匠の偉大さを充分知っている尹は安易に「陳建民の愛弟子」という言葉を使いたくなかったという。それは色んなところで食した「陳建民の愛弟子と名乗る人」が作る担々麺が、建民さんの味でなかったりすることに対する悲しさもあるが、尹東福の今作っている味が、基本ベースは建民さんの味にあるものの、それを今に受け入れられる味に変化させ、尹オリジナルの味にしていることもあるのではないかと思う。師匠である建民さんの汁あり担々麺が本場中国に四川料理には存在しないのとよく似ている。
建民さんももちろん最初は日本でも汁なしの担々麺を出していたそうだ。ところが評判があまりよくなかった。そこでスープを入れ、胡麻の味を利かせて日本人の口に合うようにまろやかにアレンジした。「味を守る」ということは簡単ではない。たとえ30年前とまったく同じ味を出したとしても、ホントにまったく同じ味なら、それは美味いとはいわれないだろう。
料理はたえず進化している。師の味をさらに変化させた尹東福の担々麺。
「ほんとは担々麺とは違う名前をつけたいのだけどね」と尹は笑う。 |